商品について
※この商品の型番は、右側に印刷機の影響のような線がありますが、折れ等ではなくUVライトに反応するセキュリティスレッドのようなものです。予めご了承ください。UVライト下の写真のイメージもございますので、そちらを参考になさってください。
ユーゴスラビアの10ディナールです。連邦ディナール(YUF)を1966年に2桁切り下げた、ハードディナール(YUD)といわれるシリーズです。1990年に4桁切り下げの兌換ディナール(YUN)が発行されるまで流通していました。
表面
炭鉱で働く男性労働者が描かれています。(詳しくは「この紙幣にまつわるエピソード」で後述)裏面
セルビア語、クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語で10ディナール、3つの言語で「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」と記載。 1965年(P-78)以前の裏面と異なるため注意してください。1968年版(P-82a)からこの裏面になっています。
この紙幣にまつわるエピソード
この時代の東欧社会主義国家は、労働者の士気を鼓舞するためのプロパガンダとして「英雄的労働者」を担ぎ上げており、それはソビエトでは「スタハノフ運動」で知られるアレクセイ・スタハノフであり、ユーゴスラヴィアではこの肖像の人物が「英雄的労働者」となりました。
この肖像画の人物はアリア・シロタノヴィッチであり、サヒブ・タラムであり、アリフ・ヘラッチ(Arif Heralić)でもあります。
当時のユーゴスラビアでは、1949年にボスニアの炭鉱で1日に152トンという途方も無い量を掘り出したというシロタノヴィッチが「英雄的労働者」として担ぎ上げられていました。
そして6年後、1955年にボルバ(Борба)という新聞でサヒブ・タラムというゼニッツァ炭鉱の製錬工の写真が掲載されます。この写真こそが、この10ディナールのデザインのもととなりました。
そして同55年、このデザインの1000ディナールが初めて発行され、1965年からは10ディナールとして発行されました。
そしてこの肖像画はサヒブ・タラムの名で新聞に掲載されたにも関わらず、紙幣に名前が明記されていなかったためかこの人物はユーゴスラビアの「英雄的労働者」であるシロタノヴィッチであるという話が独り歩きし、定着しました。
そして1971年、ゼニッツァ炭鉱の炭鉱夫アリフ・ヘラッチが死去した際、この写真はサヒブ・タラムではなくてヘラッチだったことが明かされます。
この肖像は名前も知られていない第3の人物で、死後明かされたわけです。まとめると以下のような流れです。
シロタノビッッチ(A)が英雄として担ぎ上げられる
↓
サヒブ・タラム(B)という名の人物の写真が新聞に掲載される
(実際にはアリフ・ヘラッチ(C)の写真)
↓
この肖像のディナールが発行される
↓
このディナールの人物はシロタノビッッチ(A)だという噂が独り歩きし、定着する
↓
アリフ・ヘラッチ(C)が死去した際、真実が明かされる
このような流れで、この紙幣の人物は長年ユーゴスラビアの英雄的労働者シロタノヴィッチだと信じられてきました。
実に社会主義国家らしいエピソードで面白いと思います。
参考, 間接引用:亀田 真澄, 共産主義プロパガンダにおけるメディア・イメージ―ソヴィエトと旧ユーゴの「労働英雄」報道の例から, 2010.
通貨 | ユーゴスラビア・ディナール(Dinara / DinaraはDinarの複数形です) |
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ISOコード / 通貨記号・単位記号 | YUD |
額面 | 10 |
シリーズ | ハードディナール |
型番 | P-87a |
発行 | 西暦1978/08/12 by ZINB(Zavod za Izradu Novčanica Belgrade) |
シグニチャ | Ilija Marjanovich / Ksente Bogoev |
サイズ | 131 x 62 mm |
状態 | 新品(AU-UNC) |
シリアルナンバー | 写真のものとは異なる可能性があります |